ekuroの日記

日々思ったこと学んだことを書きます。

君の名はについて(ネタバレ含む)

先日今更ながら「君の名は」を観てきた。

結論から言うと、「出会いってすごい尊いよね」ってことを言いたいのかなと感じた。

物語では男子高校生の瀧くんと、女子高生の三葉ちゃんが、不思議な力のおかげもあり最終的に二人が出会うっていう内容なんだけど、最後の「君の名は?」ってお互いが涙を流しながら発するシーンにすべてが込められている気がした。これってみんなが出会う時に必ず経験することで、日々の出会いだと当たり前すぎて全然なにも思わないけど、実はそれってすごいことなんじゃない?って気づかせてくれた。

現実の世界で誰か(別に結婚とか恋愛にかぎらず)と出会うというのは、まずお互いが生きていることが大前提だし、その上でたまたま同じタイミングで出会う場所に行くことを選んで、その人と話をしようとお互いが決めて初めて知り合いになるんだろうけど、たとえば未来の結婚する人が決まっていたとして(事後にならないとわからないことだけど、すでにみんな結婚する人は決まっているという考え方もできる)、おぼろげなタイプとかしか頭のなかにない状態で、決まったその人と出会おうとするのはとんでもない奇跡が起きないとありえないことなんだろうなと思う。

自分たちの生きている時代が同じであるということもそうだし、先祖代々そのような奇跡の出会いがあって今の自分がいるわけだし、おじいちゃん・おばあちゃん・おとうさん・おかあさん、その誰かが子供を生む前に死んでいたら絶対に起こり得ない奇跡。これが「前前前世」っていう曲にも表れてるんだろうなぁ。

だからこそこれからの出会いも大切にしたいし、今まで出会ってきた人も大切にしたいなと思える作品でした。

すげーと言われる仕組み

すげーと言われるためには、多くの人がやっていることと同じことをしていてはいけない。

ただ、同じことをするように教育され、同じことをしないと冷たい目線を向けられる現在において、違うことをするハードルが高くなっている。

なので一時的に本や人の影響を受けて違うことができても、長続きせずに元の生活に戻ってしまう人がほとんどである。

慣れというのは怖いもので、みんなと同じことをすることに慣れてしまうと、そこから外れるのが怖いどころか、客観的に見てどんなに悪いところでも居心地が良くなってしまう。刑務所に長いこといた囚人が外に出るのが怖いのと同じで、慣れという楽園は人から客観性を奪い、他の物事へ視線を誘導させない。

すげーと言われる人は、自分の目的に対して絶対的な自信を持っており、まわりが何を言おうが、それを達成することが当たり前だと思っている。それを軸に行動することに慣れているので、他人から「頑張ってるね」と褒められてもいまいちピンとこない。特に頑張っているわけではないから。

すげーと言われるような目標を持ち、それを達成することが当たり前で、達成できないようなことをしていると居心地が悪いという状況がつくられているのである。

ただほとんどの人は目標を立ててもどうせ無理だとか心の中で思ってるから、このような状況は作れない。ほとんどの人ができないからすげーって言われる人が出てくるんだろうけど。

はじめに戻るが、すげーと言われるためには、多くの人がやっていることと同じことをしてはいけない。いかに高い目標に対しリアリティを持つことができ、それに対して他の大いなる誘惑に惑わされることなく行動し、そうしないと居心地が悪いという状況を作れるかがキモである。

日本国民は世界的な戦略のコマになりさがっている

正義は多数決で決まる

日本において正義というのは多数決で決まる。少数派になればいじめられるので、なかなかユニークな個性は発揮しづらい。なので、目立って質問したり、列から外れたりするのを極端に嫌う民族である。

さらに日本全体でみると、多数決というのはメディアの情報操作により大半が決まってしまう。つまり、事の善悪がメディアの一存で決まってしまうのだ。例えば、最近芸能界でよく話題になる不倫問題。ベッキーは交際相手に別れようとしてる奥さんがいたというだけ(自分が不倫をしたわけではない)でメディアに吊るし上げられた一方で、ジャニーズの伊野尾くんは自身が3又くらいしたにもかかわらず週刊誌の報道のみで(どんな圧力があったかはわかりませんが、、)テレビにも出続けている。冷静に見ると、伊野尾くんの方が絶対悪いだろと思うんだけど・・・。まぁそういう個人的な意見は置いておいても日本人はとにかくメディアに影響を受けていると言えるだろう。

このような芸能ニュースならまだしも、これは国家の戦略においても全く同じことが起きている。日本では反中ナショナリズムを煽るような報道がよくなされ、「良識のある日本に中国が喧嘩をしかけてくる」ということを連日のように耳にするが、実際世界から見るとむしろ喧嘩をしかけているのは日本であるという捉えられ方をしている。

そもそも日本におけるメディアとは

新聞から始まった日本のメディアは、ラジオ局やテレビ局と同じ会社が運営していることが多い。というかほぼ全部そうである。例えば、「産経新聞-ニッポン放送-フジテレビ」とか「読売新聞-日本テレビ」、「朝日新聞-テレ朝」、「毎日新聞-TBS」とかとか。これにより他国であれば新聞・ラジオ・テレビによる相互監視がなされるのだが、日本ではそれが構造上起こりづらく、多様な議論がなされにくい。さらに、ラジオやテレビの電波(チャンネル)を割り当てる権利を国(総務省)が持っているので、相互監視がなされないメディアは国の政策にとって不利になるような情報は流せないのである。

日本国民は世界的な戦略のコマになりさがっている

上記で書いたように、日本ではメディアを通じて、国家が国民をコントロールする術を持っている。そんな中、国民は何も考えずにメディアから流れてくる情報を鵜呑みにしていていいのだろうか。

上記でも軽く取り上げたが、例えば、日本と中国で起きている対立はアメリカの思い描いている通り(何かのシナリオとして実際に論文があったような)だったりする。アメリカは中国にこのままだとGDPで抜かれてしまう。日本と中国がぶつかってくれればそれに越したことはない。さらにその戦費に関してはアメリカが貸し出すことになるため、巨額な戦争需要も見込めるだろう。その資金を貸し出すFRB(厳密にいうと12個くらいの機関のうち一番大きなニューヨーク連邦準備銀行)の株主はヨーロッパの銀行家が占めている。過去のヨーロッパにおける各戦争や革命、日本の戊辰戦争、その後の1次2次世界大戦などに関してもその銀行家が利益獲得のために引き起こしたという学者もいるし、実際に革命家の戦費等の観点からもそちらのほうが合点がいくことが多い。

いずれにせよ、そういった世界情勢や因果関係を各人が整理し、理解に努めなければ、国民は国家、世界の金融家達の戦略のコマとして搾取されつづけるだろう。

欅坂の子の憂いの帯び方がすごい

最近欅坂46の『2人セゾン』という曲を聞いてからその曲のメロディーが頭から離れなくなった。

その機会にこのグループ今年伸びそうだなって思ったので、全然ファンとかではなくて初めて注目したレベルだけど感じたことをまとめたい。

AKBにしてもそうだけど、まず人数が多い。そんな中でしばらくセンターの子しか押さない。それによりセンターの子の凄みがめちゃくちゃ増す。

さらにセンターが圧倒的に憂いを帯びている。センターだし、自分しか押されなくてプレッシャー半端ないし、めちゃくちゃ働かされまくって疲れているんだと思うが、そういうのにストレスを感じながらも頑張っている感がすごい。疲れとかも結構表情に出る。そしてそれをファンが心配する。みたいなループができている気がする。センターがアイドルとして完璧すぎないのだ。

ここまでまとめると下記3点が秀逸だなと感じる。

  • 人数が多い
  • センターしか押さないことにより凄みを出す
  • センターがアイドルアイドルしていない(いつもニコニコではない)

しばらくはセンターがどれだけ人気になるかにかかっているだろうから頑張って欲しい。それにしてもアイドルグループって普通に可愛い子集めてるだけだとだめなんだなぁ。秋元さんはどこまで戦略的に狙っているんだろうか。想像もつきません。

自慢することのダサさが半端ないことについて

あとから冷静に見ると自慢することはとてもダサい。

昔の文章をみていても色々なところに散りばめられている自慢が本当にイタい。

「自慢はしない方がいいよ」ということを助言してくれる人はいるんだけど、自分で気づかないと全く心に響かない。

しばらくすると自分の中での誓いも忘れてまた自慢しようとしてしまう。合コンとかで自慢してる人を見るといい戒めになるんだけど。

どうしても自慢してしまう自分がいるので、なんで自慢することがダサいのかその本質を考えてみる。

パッと思いつくこととしては、自慢するとそれが上限の人間だって言っているようなもので、それ以上のことがないのではないかと思われるということ。だが、自慢の内容がいくらすごくても自慢しているとダサく見えてしまうので、本質的な原因はこれではなさそう。

それでは日本特有と言われている「言わない美学」的な感じだろうか。これはある程度存在する気がする。言わない方がその人に奥深さを感じるのだ。自慢することで自分を下げているのではなくて、自慢をしないことでの上がり幅がすごいというのは割りと納得がいく。

ただ、イタいと感じている以上、下げ幅がすごくないと説明がつかない。その路線で考えてみると、実は自慢の内容はあまり関係なく、自慢話でその場が盛り上がらないことが一番の原因であることが見えてくる。つまり自分が楽しくありたいという思いが強すぎて、まわりのことを考えない自己中な人間になっているのだ。ただの自己中発言であればまだ許せても、自慢話になると「すごい」という返答も強要させる。そういう意味ではただの自己中発言よりたちが悪い。まだ事前に「これは自慢になってしまうんだけど」という前置きがあることによって、聞き手は随分聞きやすくなる。その前置きがなく自慢していると本人はイタいということに気づいていないということで聞き手のイライラをさらに募らせてしまう。

ただ人は自分を優位に見せたい生き物である。そして相手の立場に立って考える事が難しい生き物でもある。冷静に結果を予想すれば自慢はすべきではないことは明白であるが、その場の自分の気分の高揚や欲にかられてしまい、つい自慢話をしてしまうのである。特に若い頃はその気持ちを抑えることがとても大変なのだ。

目先の性欲であれば、法律で制限されていたり、相手の気持ちがダイレクトに分かることからセーブしやすい。それに比べて自慢は気づかない人は一生気づかない。

結局、自慢をセーブするためには、自己実現を高いレベルで達成することが大切なのだろう。自慢は承認欲求なので、自分が自分のことを認めてあげられていればわざわざ他人に報告する必要はない。また自己のレベルを上げて、基本的に褒められている状態であればわざわざ自分からさらなる褒めを求めることはないだろう。

SMAP解散に見る日本のいじめ問題

ついにあと数日でSMAP解散ですね。特にファンとかそういう分けではないけど、寂しい思いはあります。

どうやら年末の紅白は出場せずに木村くん以外は全員慰労会、木村くんは海外旅行という説が濃厚みたいです。

タイトルのいじめについてですが、これはSMAPメンバー内のいじめっていうことではなくて、少数派の木村くんに対して日本のみなさんの当たりについて言及したものです。

冷静に考えるとSMAP解散の原因はお世話になったマネージャーがやめることにより、SMAPの4人が事務所を抜けることが発端になっているはずなので、どちらかというと木村くんというよりSMAP4人の方が叩かれて然るべきな気がするのに、少数派の木村くんが裏切ったに違いない的な発想でみんなが叩きまくるという構図が出来上がっています。

木村くんはマネージャーサイドを裏切って、4人はジャニーズ側を裏切った、ただ木村くんの裏切りはジャニーズ内でのポジションを考えた上でのことだろう的な感じか。うーん、そんなお金には困ってないだろうし、お金の重要性よりイメージとか信頼が大切だというのは芸能人である本人が一番わかってるだろうし、そんな簡単な話ではないと思うんだけどなぁ。

別に木村くんを変にかばうつもりはないけど、絶対メンバー内で今一番つらいのは木村くんだろうなって感じに思います。

多数決の論理で少数派の感情とか背景とかを全く理解しようとはしない人の考えるきっかけになればと、そういう人がいると戦争もいつまでたってもなくならないしね。

avex松浦さんの労働基準法の是正勧告に対する発言

先日avaxの松浦さんがご自身のブログで『労働基準法の是正勧告』について記事を書かれた。

記事内で松浦さんは、好きで仕事をしている人も仕事を制限しなければならないのはいかがなものかという発言をしている。個人的にはこの意見に全く賛成だ。自分も好きなことを仕事にしてしまったため、趣味と仕事がイコールになってしまった(もちろん楽しいことだけではないが、苦しいことも含めてどんどん大きいことができるようになっていくのが人生の楽しみになっている)。仕事をする時間を制限されてしまうと、趣味を制限される気がして反発したくなるのだ。

ただ労働基準法が問題にしているのは、経営者の言いなりにならざるを得ずに働かされているケースについてだと考えられる。

このケースの場合も「嫌なら仕事をやめて好きなことを仕事にすればいい。」と思ってしまう。世の中には仕事がたくさんあるので、やめる勇気さえもてば案外仕事は見つかるものである。合う仕事が見つかるまで探せばいいと思う。

ただそれだと議論にならないので、仕事をやめてしまうと本当に職が見つからない人が経営者の言いなりにならざるを得なくなっているケースを考えてみる。そういう人は仕事ができない人だと思うので、本当に長い時間働いてほしいと会社に思われているのかどうか疑問だが、一応そのケースで考えてみる。その場合においても、必要とされていて本人が満足している場合と、他にやりたいことがあって満足していない場合が考えられる。前者の場合は本人が満足しているので問題ないと考えて、後者の場合はたしかに会社に変わってもらうしかないかもしれない。ただ、ここに当てはまらないように各人が努力する必要があると思う。というのも『国って考えは甘えを許容する』でも書いたが、国は資本主義において最低限にいる人を救うために存在しているので、各人が努力しなくても国は甘やかしてくれるのだ。ただそういう人が増えて支えてる側が競争力を持てなくなってしまったら支えてもらっている弱者含め国自体が存在できなくなってしまう。

北欧のように弱者(子供)を救うことが国の未来につながるような政策を取っていれば未来への投資として割り切れるが、日本のように未来への投資とは言い難い弱者(高齢者)への援助を余儀なくされている国としてはこのままだと未来があるとは考えにくい。高齢者が弱者という考えがおかしい気がするというか仕事にリタイアを設けるというのがそもそも古い考えなのではないかと思う。

仕事は我慢してやるもの、老後の楽しみのために40年間頑張って働くという考え方自体が古いと言わざるをなくなっているのではないだろうか。老後のための人生ではなく、人生そのものを楽しんだほうがいい。それでは社会は成り立たないという人もいるだろうが、今となってはその方が1人1人の価値を最大限いかすことができるのではないだろうか。