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ekuroの日記

日々思ったこと学んだことを書きます。

気晴らしにテレビを見たりゲームをするのは間違い

勉強は仕事をしていて疲れた時に何をしているだろうか。ゲームをしたりテレビをつけたり、facebookを閲覧したりyoutubeを見たりしている人が多いだろう。
実はこれは脳を休めるという観点から見ると全く非効率なことがわかっている。

ゲームを何時間もやっていたり、テレビ(映画の方がわかりやすいかも)を何時間も見ていると集中力が切れそうになる経験をしたことがある人も多いと思う。
実はゲームやテレビを見る時にも脳はフルに動いているので、「仕事->ゲーム->仕事->テレビ」というループでは脳は全く休まっていないのだ。
人間が連続して集中力を保てる時間は限られているので、これでは仕事や勉強が捗るわけがない。

それでは脳を休めるのに最も効率的なものは何だろうか。それは筋トレである。
何も考えることができないくらい強度の高い筋トレをしている時は脳を休めることができるのだ。
つまり仕事や勉強の合間では、ゲームをしたりテレビを見るのではなく、筋トレをすることをおすすめする。

さらに筋トレにかぎらず運動(特に有酸素運動)には脳のニューロンの結びつきを強める土台を形成する作用があることがわかっている。
運動を効率的に取り入れることによって、脳の効率を最大限にいかすことができるのだ。

国っていう考えは甘えを許容する

最近格差是正の問題が取り上げられることが多くなり、厚生労働省でも同一労働同一賃金の実現に向けた検討会などで議論を重ねているようだ。

正規・非正規の賃金の格差を是正しようとか、雇用流動性が高い方がいいんじゃないかとか、色々論点はあるんだろうが、そんな議論は甘えた国民のための国をダメにする議論でしかないと思う。 

今、世界(特に先進国)は国という概念に脅かされていると思う。

国がないと困るのはその運営を職としている政治家・公務員やその制度によって守られている甘えた考えの国民である。

人というのは怠惰な生き物なので、甘えたい・楽をしたいと思う人が多いから、そういう人たちを守るような制度について政治家たちは真剣に主張し議論しなくてはならない。

大した努力もせずに、勤め先に対して「待遇を改善してほしい」とか「ブラック企業」だとかいう人がいる。嫌ならやめればいい。嫌なのにやめる人がいないから待遇が改善されないのだ。おそらくそういう人はやめたら仕事がなくなって食べれなくなってしまうということなのだろう。本来、それならその賃金でそのまま働くか、自分の得意分野を見つけて新しい挑戦をするかしかないはずだ。文句を言っても何もはじまらない。

ただ、そういう声を聞かなければならないのが国というものだ。国は国民の生命と生活を守るために存在しているので、どうしても弱者に甘い政策をとらざるをえない。その結果弱者という衣を来て国民は怠惰になり、一方で頑張っている強者のことを叩いたりする。強者によってその国が支えられていることなど考えもしないで。 

こういう話をすると、決まって、頑張ってもお金を稼げない人はどうしたらいいのかとか、強者の論理だろうということになる。

これはまさに本質をついていると思う。お金という1つの指標しか成功・失敗を見いだせないからこういうことになっているのだ。評価する側もされる側もお金のことしか信用できていない。お金は本来信頼を担保するためのものなので、信頼を構築することが本当の価値なのだが、みんなお金に目がくらんでいる。結果宝くじとか、ギャンブルで一発逆転を狙ったりする。

現在は信頼をはかる物差しとしてお金が目立つが、SNSクラウドソーシングなどが発達してくれば個々人の信用度が可視化され、お金よりもそちらのほうが重視されるようになるだろう。

そうなった時に世の中にバリューを発揮できるようにするために、何が得意で何をすべきなのかは個々人が考え無くてはならない。

自分が活き活きできないのをいつまでも国のせいにしている場合ではない。

結婚式ってなんでやるの?

結婚式をやりたいという人は特に女性だと多い気がする。

だが、「なんで」結婚式をやりたいかということに冷静に答えるのは意外に難しい。

これまで聞いたことある理由としては「ウェディングドレスを着たい」「一生に一度だから」「みんなに見てもらいたい」とかがあるのかなと思ったが、「ウェディングドレスを着たい」に関しては試着でも何でも着ればいいし、「一生に一度だけ」のことなんて世の中にはたくさんある。「みんなに見てもらいたい」というような承認欲求に関しては、世間からバッシングを浴びがちな「キスプリクラ」と同じなのではないかとも思える。

結婚式を挙げる理由ってこんなフワフワしたものなのだろうか、気になって調べてみると、結婚式を挙げる理由ベスト3みたいな記事があった。

1位「結婚式は人生のけじめだと思うから」

2位「ずばり親孝行のため」

3位「みんなに祝福してもらいたいから」

4位「世間体を考えて」

5位「ふたりの幸せを確かめたいから」

6位「結婚相手をみんなに披露したいから」

7位「結婚式をするのは当たり前だと思うから」

出典:イマドキ男女の婚活事情

うーん、結婚によって変わる生活にけじめが必要なんだろうか。。なんかこれから辛い生活が待ってます感がすごい。

という感想はあるが、全体的に「結婚式をやるのが当たり前の世の中において」という前提がある気がする。この前提があると結婚式をやる本当の意味が見えてきにくい。

親孝行になるというのは、親がやってほしいと思っているからという前提なのだろうが、親がやってほしいのは結婚であって結婚式ではない気がする。そもそも結婚はすべきかという議論は置いておいて、親世代では結婚式をやるのが当たり前だからということなのだろうか。結婚式で親に感謝の気持ちを伝えられるとかいうのは、父の日母の日というのが1年に1回あるので、そちらでもいいのではないかと思う。

みんなに祝福してもらいたいというのはまさに上であげた「キスプリクラ」と同じ、承認欲求である。本当に自分が満足しているならわざわざ自慢して承認してもらう必要はないのだろうが、日頃承認してもらえない環境が多いと、せめてここでは自慢させてほしいとか思うのだろうか。

ふたりの幸せを確かめたいからというのは式を挙げないと確かめられないのだろうか。そんなことだと、結婚後の普通の生活が心配である。あのときは良かったのになぁとなりかねないし、実際そうなっている人は多いだろう。

 

なんか書けば書くほど結婚式の意味が分からなくなってくる。

逆になぜやるのか分からないからあえてやってみようかなという気さえおきてくる。

ちゃんと結婚式の意義を答えられる人っているんだろうか。

筋トレ・ダイエットができない人は何もできない

ここ半年くらい筋トレにはまっている。

ジムと月額会員プランで契約している。5,000円で平日の朝7時~10時まで使い放題というプランだ。

 

1日だけどうしても用事がずらせず行けなかったことがあるが、それ以外は毎日通っている。

毎日通っていると、はじめにイメージした身体にどんどん近づいていくし、体重や体脂肪率の値もどんどん理想値に近づいていくので達成感を感じることができる。

 

少し話が変わるが、人生は「目標達成能力」によって豊かさが大きく変わると思う。

「あの人と付き合いたい」「試験に合格したい」「お金持ちになりたい」こういう願望はすべて目標考えることができ、後はそれを達成する能力があるかどうかにすべてかかっているのだ。

この「目標達成能力」は一朝一夕で身につくものではないだろう。簡単な目標からコツコツとクリアして徐々に大きな目標を達成することができるようになっていく。

 

しばらく筋トレをやっていて思うのだが、筋トレやダイエットをして理想の身体に近づくことはあらゆる「目標」の中で最も簡単な部類に属していると思う。

例えば「あの人と付き合いたい」は相手を巻き込む必要があるし、「試験に合格したい」や「お金持ちになりたい」は他人との競争なので運も必要になってくる。

そう考えると「筋トレをして理想の身体に近づく」というのは自分だけで簡潔するイージーモードの目標設定なのだ。

自分だけで簡潔するような目標が達成できてないのに、さらにレベルの高い目標に挑戦して挫折する。挙句の果てにコツコツ成果を積み上げている人に「成功のコツ」を聞きて楽に目標を達成したがる人が多いように感じる。

 

今掲げている目標をさらにレベルが低い目標に落とし込んで(筋トレであれば、まず毎日いけるようにするとか)それを達成する。それで心が折れるようであればそれ以上大きなものなんて基本的に達成できないと思う。

WELQを問題にしてる奴はただの自己中甘えん坊野郎

WELQの問題は倫理的なところから始まって、今となってはキュレーションメディアの記事による著作権侵害問題にまで発達した感じだけど、WELQの倫理的な問題を指摘してる奴はホントにただの自己中甘えん坊野郎だなと思ったので思ってること書いてみた。

よかったらみんなの意見も聞きたい。

 

今回のWELQの倫理的な問題を指摘する人の意見をまとめるとこんな感じ。(著作権侵害は普通に問題なんで今回は論点から外してます)

  1. 人の生死に関わるような医療の分野で素人が不確実な情報を提供するな
  2. そんな情報が検索で上に出てくるとは何事だ
  3. 上場企業のメディアってことで信じちゃう人もいるでしょ

WELQ叩く記事そんなに追ってなかったんで、ちょっとズレていたら言ってほしいんだけど、たぶん一番はじめに上がった問題は1番で「人の生死に関わるような医療の分野で素人が不確実な情報を提供するな」って感じだったと思う。これは「正しい情報を見つけられない(人がいるだろう)から、間違った情報は出ないようにすべき」って言いたいんだろう。

まずWELQの記事(特に幽霊が・・・とか話題になってたやつとか)を信じて被害にあったやつどれくらいいるんだよって言いたくなるけど、それは置いといて、間違った情報が出ないように制約をつけるんじゃなくて情報が正しいかどうかを自分で判断できるようになるのが先なんじゃないか。

こういう人は、結局人のせいにするだけして、自分は何も変わるつもりがないただの自己中甘えんぼ野郎だ。

むしろそういう奴がいるからデタラメな記事に騙される人が絶えなくて、そういう記事がなくならないんだと思う。

逆に自分で内容を判断出来る人が増えれば、悪質なコンテンツなんて自然となくなるもんだ。

 

2番(そんな情報が検索で上に出てくるとは何事だ)に関してはそもそもGoogleの問題だけど、DeNAの立場から言えばビジネスとして考えた時に収益を出すことを目標にしただけだろうなって感じだろう。

この世の中のあらゆること(違法なことは別にして)は立場によって何が正義かは変わってくるので、そういった意味でも情報を自分の視点で取捨選択できるようにならないと、そもそもネットサーフィンで情報を収集できるレベルとは言い難い。

会社なんだから社会的な意義を出せとか言う人もいると思うが、何を追い求めるかなんて会社の自由。そういう会社の株を買うかどうかも株主の自由だし、そういう会社のサービスを使うかどうかもユーザの自由。別に外野がとやかく言う問題ではない。社会的な意義を追い求めたいんなら自分で会社作ってやればいいと思う。

 

その他「執筆者の情報が書いてない」とか「上場企業なんだからしっかりしろ」とか言ってる奴もいるけど、執筆者の情報が書いてないんだったらその体(てい)で読めばいいし、上場企業なんだからっていうのは自分の上場企業に対する認識が間違ってるだけだろって感じなので、とにかく相手のせいにばっかりしてるんじゃなくて、自分が変わる努力ぐらいしろって思う。

 

でもそういう奴ほど、欠点探すのに必死で何も変わろうとしないんだよなぁ。

どちらかと言うとWELQよりこっちのほうが問題だし害悪。