ekuroの日記

日々思ったこと学んだことを書きます。

国っていう考えは甘えを許容する

最近格差是正の問題が取り上げられることが多くなり、厚生労働省でも同一労働同一賃金の実現に向けた検討会などで議論を重ねているようだ。

正規・非正規の賃金の格差を是正しようとか、雇用流動性が高い方がいいんじゃないかとか、色々論点はあるんだろうが、そんな議論は甘えた国民のための国をダメにする議論でしかないと思う。 

今、世界(特に先進国)は国という概念に脅かされていると思う。

国がないと困るのはその運営を職としている政治家・公務員やその制度によって守られている甘えた考えの国民である。

人というのは怠惰な生き物なので、甘えたい・楽をしたいと思う人が多いから、そういう人たちを守るような制度について政治家たちは真剣に主張し議論しなくてはならない。

大した努力もせずに、勤め先に対して「待遇を改善してほしい」とか「ブラック企業」だとかいう人がいる。嫌ならやめればいい。嫌なのにやめる人がいないから待遇が改善されないのだ。おそらくそういう人はやめたら仕事がなくなって食べれなくなってしまうということなのだろう。本来、それならその賃金でそのまま働くか、自分の得意分野を見つけて新しい挑戦をするかしかないはずだ。文句を言っても何もはじまらない。

ただ、そういう声を聞かなければならないのが国というものだ。国は国民の生命と生活を守るために存在しているので、どうしても弱者に甘い政策をとらざるをえない。その結果弱者という衣を来て国民は怠惰になり、一方で頑張っている強者のことを叩いたりする。強者によってその国が支えられていることなど考えもしないで。 

こういう話をすると、決まって、頑張ってもお金を稼げない人はどうしたらいいのかとか、強者の論理だろうということになる。

これはまさに本質をついていると思う。お金という1つの指標しか成功・失敗を見いだせないからこういうことになっているのだ。評価する側もされる側もお金のことしか信用できていない。お金は本来信頼を担保するためのものなので、信頼を構築することが本当の価値なのだが、みんなお金に目がくらんでいる。結果宝くじとか、ギャンブルで一発逆転を狙ったりする。

現在は信頼をはかる物差しとしてお金が目立つが、SNSクラウドソーシングなどが発達してくれば個々人の信用度が可視化され、お金よりもそちらのほうが重視されるようになるだろう。

そうなった時に世の中にバリューを発揮できるようにするために、何が得意で何をすべきなのかは個々人が考え無くてはならない。

自分が活き活きできないのをいつまでも国のせいにしている場合ではない。