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ekuroの日記

日々思ったこと学んだことを書きます。

avex松浦さんの労働基準法の是正勧告に対する発言

avex 労働基準法 是正勧告

先日avaxの松浦さんがご自身のブログで『労働基準法の是正勧告』について記事を書かれた。

記事内で松浦さんは、好きで仕事をしている人も仕事を制限しなければならないのはいかがなものかという発言をしている。個人的にはこの意見に全く賛成だ。自分も好きなことを仕事にしてしまったため、趣味と仕事がイコールになってしまった(もちろん楽しいことだけではないが、苦しいことも含めてどんどん大きいことができるようになっていくのが人生の楽しみになっている)。仕事をする時間を制限されてしまうと、趣味を制限される気がして反発したくなるのだ。

ただ労働基準法が問題にしているのは、経営者の言いなりにならざるを得ずに働かされているケースについてだと考えられる。

このケースの場合も「嫌なら仕事をやめて好きなことを仕事にすればいい。」と思ってしまう。世の中には仕事がたくさんあるので、やめる勇気さえもてば案外仕事は見つかるものである。合う仕事が見つかるまで探せばいいと思う。

ただそれだと議論にならないので、仕事をやめてしまうと本当に職が見つからない人が経営者の言いなりにならざるを得なくなっているケースを考えてみる。そういう人は仕事ができない人だと思うので、本当に長い時間働いてほしいと会社に思われているのかどうか疑問だが、一応そのケースで考えてみる。その場合においても、必要とされていて本人が満足している場合と、他にやりたいことがあって満足していない場合が考えられる。前者の場合は本人が満足しているので問題ないと考えて、後者の場合はたしかに会社に変わってもらうしかないかもしれない。ただ、ここに当てはまらないように各人が努力する必要があると思う。というのも『国って考えは甘えを許容する』でも書いたが、国は資本主義において最低限にいる人を救うために存在しているので、各人が努力しなくても国は甘やかしてくれるのだ。ただそういう人が増えて支えてる側が競争力を持てなくなってしまったら支えてもらっている弱者含め国自体が存在できなくなってしまう。

北欧のように弱者(子供)を救うことが国の未来につながるような政策を取っていれば未来への投資として割り切れるが、日本のように未来への投資とは言い難い弱者(高齢者)への援助を余儀なくされている国としてはこのままだと未来があるとは考えにくい。高齢者が弱者という考えがおかしい気がするというか仕事にリタイアを設けるというのがそもそも古い考えなのではないかと思う。

仕事は我慢してやるもの、老後の楽しみのために40年間頑張って働くという考え方自体が古いと言わざるをなくなっているのではないだろうか。老後のための人生ではなく、人生そのものを楽しんだほうがいい。それでは社会は成り立たないという人もいるだろうが、今となってはその方が1人1人の価値を最大限いかすことができるのではないだろうか。