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ekuroの日記

日々思ったこと学んだことを書きます。

自慢することのダサさが半端ないことについて

あとから冷静に見ると自慢することはとてもダサい。

昔の文章をみていても色々なところに散りばめられている自慢が本当にイタい。

「自慢はしない方がいいよ」ということを助言してくれる人はいるんだけど、自分で気づかないと全く心に響かない。

しばらくすると自分の中での誓いも忘れてまた自慢しようとしてしまう。合コンとかで自慢してる人を見るといい戒めになるんだけど。

どうしても自慢してしまう自分がいるので、なんで自慢することがダサいのかその本質を考えてみる。

パッと思いつくこととしては、自慢するとそれが上限の人間だって言っているようなもので、それ以上のことがないのではないかと思われるということ。だが、自慢の内容がいくらすごくても自慢しているとダサく見えてしまうので、本質的な原因はこれではなさそう。

それでは日本特有と言われている「言わない美学」的な感じだろうか。これはある程度存在する気がする。言わない方がその人に奥深さを感じるのだ。自慢することで自分を下げているのではなくて、自慢をしないことでの上がり幅がすごいというのは割りと納得がいく。

ただ、イタいと感じている以上、下げ幅がすごくないと説明がつかない。その路線で考えてみると、実は自慢の内容はあまり関係なく、自慢話でその場が盛り上がらないことが一番の原因であることが見えてくる。つまり自分が楽しくありたいという思いが強すぎて、まわりのことを考えない自己中な人間になっているのだ。ただの自己中発言であればまだ許せても、自慢話になると「すごい」という返答も強要させる。そういう意味ではただの自己中発言よりたちが悪い。まだ事前に「これは自慢になってしまうんだけど」という前置きがあることによって、聞き手は随分聞きやすくなる。その前置きがなく自慢していると本人はイタいということに気づいていないということで聞き手のイライラをさらに募らせてしまう。

ただ人は自分を優位に見せたい生き物である。そして相手の立場に立って考える事が難しい生き物でもある。冷静に結果を予想すれば自慢はすべきではないことは明白であるが、その場の自分の気分の高揚や欲にかられてしまい、つい自慢話をしてしまうのである。特に若い頃はその気持ちを抑えることがとても大変なのだ。

目先の性欲であれば、法律で制限されていたり、相手の気持ちがダイレクトに分かることからセーブしやすい。それに比べて自慢は気づかない人は一生気づかない。

結局、自慢をセーブするためには、自己実現を高いレベルで達成することが大切なのだろう。自慢は承認欲求なので、自分が自分のことを認めてあげられていればわざわざ他人に報告する必要はない。また自己のレベルを上げて、基本的に褒められている状態であればわざわざ自分からさらなる褒めを求めることはないだろう。